Yでーす\(^◇^)/
てへぺろ。
文章というものは「書き出し」が大切なんですって。
なので、いつも、どう書き出そうかと、うんうんうなっているわけですが、
ついにネタ切れ……。
ちょっとしたチャレンジです。
奇をてらわずに、粛々と書けばいいんでしょうけど。
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そろそろ私が書いたブログ記事も溜まってきたので、
ときどき「はー、どんなこと書いたかなー」と読み返します。
すると、ちょっとバランスを欠いた匂いを感じまして。
というのは「五感」から思ったこと。
五感を活性させるには「本物」や「上質」を体感するのがとても大切です。
あなたの感覚が喜ぶもの、ことに、できるだけたくさん触れる。
美しい、心惹かれるものを見る
心地よい、目を閉じてしまいそうにうっとりする音を聴く
指が、肌が、喜ぶようなものに触れる
鼻を通して伝わる快楽に身をゆだねる
身体じゅうが感動にむせぶようなものを味わう
という感じ。とっても大切なことです。
でも、実はこれらの「真逆」の感覚も、とても大切なことだよなー、と、
先日、帰宅途中でハッとしたのでした。
まあ、できるだけ「不快」なものには近寄らないのがいいとYも思います。
怖いもの見たさというのはやっかいで、ちょっとした軽い気持ちで近づいたら、
大怪我を負ってしまうなんて、体験しなくていいことです。
でも不意に「不快」と出会ってしまったら。
一瞬でいいので、その不快を味わったほうがいい、と、Yは思うのです。
違う言い方をするなら「フタをしない」ということです。
ちゃんと見る、ちゃんと聴く、ちゃんと触れる、ちゃんと嗅ぐ、ちゃんと味わう
で「マジ! サイテー!」と「感じる」。
そしてその次に
「こんなの絶対に、やだ!」
これを感じる、感じきることが、とっても大切。
特に「オトナ」や「社会人」でいると、不思議と「不快にフタをする」ことが増えてきます。
失礼なことを言われた、とか、
自分の心の傷に塩をぬられた、とか、
ありもしないことをでっちあげられた、とか、
誤解このうえない解釈で、どんどん状況が悪化している、とか。
そこには不快な感覚と感情があるはずです。
でも「オトナ」や「社会人」って、
感覚と感情にフタをすることが「美徳」みたいなことになってるんですよね。
これが「オトナをこじらせる」元凶だと、Yは感じています。
理性や理論はもちろん美しいものです。
いわば「整列の美」のようなもの。
ですが、人間として生きている以上、感覚や感情はあふれ出て来て当然のもの。
これらの機能不全が身体に出れば「病気」と呼ばれる状態です。
理性や理論が「整列の美」なら、
感覚や感情は「混沌の美」あるいは「圧倒的なエネルギーが生まれる瞬間」です。
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これはYの経験上ですが、
不快を「感じきる」と、不思議なことに万事が好転し始めます。
嫌だ!
が
嬉しい♪
を連れてくる、という感じかな。
もしあなたが不快に出会ってしまったら、
「不快を感じるお作法」というものに気をつけて、
どうぞ思う存分不快を感じてみてください。
そして感じきった先の「嬉しい」をお楽しみにね。

