2023年06月27日

必読! 台湾研修紀行

こんにちは…にこにこ
札幌は初夏らしくなってきましたおやゆびサイン
さらに草木や山は緑で萌えています。


さて〜、
行ってきました台湾研修❣️ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

人生でそう経験できないお話を聴けたことや実際に体感したことをバッチリ手渡します。
長文なので最後までお読みいただけると幸いです顔3(かなしいカオ)

皆さんの気づきや何かのヒントになれば嬉しいですね光るハート


日程…6月16日(金)〜19日(月)

今回の研修目的…
台湾に残る「日本精神」を学び、明日の経営と人生に活かすぴかぴか(新しい)

【6月16日(金)】

前泊し早朝より羽田に向かいました。
朝からシャンパン??

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他の参加者と違って現地集合現地解散。
団体行動苦手な私です顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)


やっと出発↓↓飛行機

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そして台湾松山空港に着き無事に皆さんと合流しました。
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最初に台湾約20年在住されている片倉佳史先生によるお話ですわーい(嬉しい顔)

彼は武蔵野大学客員教授で、台湾に残る日本統治時代の遺構や建造物を記録するほか、
古写真や史料の収集をしたり古老への聞き取り・調査を進めている方です。

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今や台湾から日本に行かれる方は年間500万人にとも言われています。
もちろんリピーターも多いのですが、台湾人口の約4人に1人は日本に行っている計算。

大きな理由として、治安も良いし衛生的、さらに食べ物も美味しい、人も優しいイメージらしい。

もちろん違う人もいるでしょうが…顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)


なぜ今でも親日家が多く台湾にいるのだろう?

その疑問に片倉先生は、たくさん応えていただきました。


台湾は1年の半分以上雨、乾季もあり、農作物を作るには気候が適していなかったようです。

その当時の台湾は、劣悪極まりない状態でした。


日本はそれまでに統治していたオランダや清の国と違い、

台湾を日本と同じように大切ににし教育・衛生・農業・産業・鉄道・湾港・インフラに力を注ぎました。


そのことで多くの台湾人が救われたのでするんるん


日本統治下時代に、多くの日本人が自分の命をかけても行なった数々の事業がありました。



「日本精神」をそのまま当時の台湾人に手渡した方々の話を聞くことで、台湾に対する見方が変わりました。


決して美談ではなく、事実として歴史を紐解いていく必要があると思いました。



まさに「日本精神」を体験された方が、94歳になられる張文芳さん。

美しい日本語をお話しされます❣️↓

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台湾で生まれ、日本の大阪・横浜と住み渡り戦争も経験。

日本統治下において日本語を習得し、北京語は一切わからなかったそうです。


日本人として生まれ育ったのだと思っているし、当時どれだけの日本人が台湾のために尽力したかを、

事実として知っているともお話しされました。



日本人が素晴らしいのは言葉の綺麗さ。敬語を使う国は世界でもまれであるとのこと。

言葉はその人の人格・品格も表します。


台湾と日本に共通すること…、それはカタチにない言葉を察する心。

例えば「ワビサビ」「大和撫子」「侍魂」

先祖を大事にする。お墓参り、神社仏閣…。


台湾で語り継がれる「日本精神」利他の精神、仕える、まさに相手を想う気持ちだそうですハートたち(複数ハート)ハートたち(複数ハート)


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↑主催者で講師でもあるヨッシーこと加藤芳久さん、張さん、そして私。


そして張さんが大事にしている言葉…
「邂逅(かいこう)」思いかけずに出会うこと、巡り逢い…という意味ですが、
今回のご縁は偶然ではなく必然のように私は思ってしまいました。

実は昨年他界した父と同じ歳。
なぜか亡き父と面影を重ねてしまい、涙を堪えるのに実は大変でしたもうやだ〜(悲しい顔)

お二人のお話を伺った後、そのままバスで台南へ移動あせあせ(飛び散る汗)
約5時間バスに揺られて、やっとホテルに着いたのが真夜中です。

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↑昼間のホテル前

いやいや「疲れた〜ふらふら」のひと言。

しかしバスの運転手さんが一番疲れたんじゃないかな…顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)
運転手さん、ありがとうざいます❣️


【6月17日(土)】

安平樹屋(あんぺいじゅや

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19世紀末から日本統治時代初期にかけて建てられた倉庫の壁にガジュマルの根が絡みついています。
まるでアンコールワットの「タ・プローム」さながらの景観です。

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樹冠ではリスや鳥が戯れ、豊かな生態系を感じます。
ゆっくり散策をし自然と触れ合いました。


そしてその後この日のメインでもある、
飛虎将軍廟です。

↓東京新聞に記載
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1944年10月日本帝国海軍の杉浦茂峰(すぎうらしげみね)兵

日本海軍の兵曹長だった杉浦茂峰氏は、1944(昭和19)年1012日、台湾台南市上空でアメリカ空軍を迎え撃つも撃墜され、畑の中に落ちて戦死したとされています。

本来パラシュートを使って逃げることもできたのですが、杉浦将軍はこのままだと飛行機が村に落ち甚大な被害になると思いました。

それを避けて操縦コントロールし、結局最後には畑に落ちたのです。この時彼は21歳もうやだ〜(悲しい顔)

第二次世界大戦後、海尾寮集落において、白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が枕元に立っているという夢を見たという者が数名ありました。

その後、集落の有志が集まり、その海軍士官が部落を戦火から救うために、自分の生命を犠牲に集落を守った恩人として、1971(昭和46)年に杉浦茂峰氏を祀るために祠(ほこら)を建設したのです。

1993(平成5)年には、台南市海尾朝皇宮管理委員会において廟(びょう)に建て直され、現在も地元の守り神として地元住民により手厚く祀られ、廟は多くの旅行者が訪れるスポットとなっているようです。



その後訪れたのが、烏山頭(うさんとう)ダム
台湾の教科書にも載っている「台湾農業の父・ダムの父」と慕われている八田與一(はったよいち)技師。

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当時東洋一の巨大ダムを作りました。
劣悪な農業環境を改善するため全長19,000キロ以上(ほぼ地球半周の長さ)の灌漑給水路・排水路や水道橋・水門・井戸も作られ
「干ばつ・洪水・塩害」の全てを解決する水利事業を完成させましたぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

長年の水問題を解決したのです。

ダムは八田ダムとも言われます。

完成するには犠牲者もだし、並大抵の覚悟ではなし得てなかったことです。

八田さんは日本人・台湾人の隔てなく、一緒に作っていくことを目指しました。
事故で亡くなった方々の全員のお名まえが慰霊碑に書かれています。

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日本人・台湾人ともに書かれている↑

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ダムを作るために使われた当時の重機。
(アメリカから輸入したもの)

私は正直こんな素晴らしい功績を残した人を知らなかった…。恥ずかしい困り



台湾で1番尊敬され「神」としても崇められています。


命がけでダムを作った人、

それだけでなく何十年後も見据えて農業も改革し100万人以上の農民たちの命だけでなく生活も救ったのです。


58日には毎年慰霊祭が行われているのも今回初めて知りました。


完成するまで10年間は良いことばかりではなく、

しかし諦めずにただただ農民や台南の人々の暮らしを最優先にして考え行動するのは、本当に「神」に近い涙ぽろり


必要な重機や施工方法をアメリカまで行って学んで輸入したり、今ならカンタンなことでも100年前ではとても考えられない大きな計画です。


私たちは便利になり過ぎて、「当たり前のこと」を感謝できなくなっているのではないかと思います。

水を美味しく飲める環境はもちろん、日々の感謝を忘れたくないですね!



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↑八田技師自身の銅像を建てるのに本人はあまり好まなかったのです。

もし作るなら座っている状態、上から見下ろすのではなく考えているポーズをリクエストしました。
そしてこの目線の先には、ダムがあります。

いつでもダムを見ていられるのが、八田技師にとって最高に幸せなことでした。


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↑当時インドからのお客様に説明している写真・奥様外代樹夫人の銅像

八田さんは1941年没。
フィリピン南部の開発に赴くため「大洋丸」に乗船しました。
しかし米軍の魚雷攻撃を受け船は沈没し亡くなりました。

奥様の外代樹夫人は終戦後後追いするように、ダム放水口に投身自殺したと言われています。



【6月18日(日)】

副瀬冨安宮(義愛公ぎあいこう)…日本人警察官森川治郎巡査が土地神として祀られています。


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ひとりの巡査が村の人々のために尽くしてきたことが語り継がれていますかわいいかわいい


劣悪な治安だった当時は、治安だけでなく教科書を日本から取り寄せ教育にも励んだのです。

読み書きを指導し台湾の識字率向上に貢献しました。


また住民のために税の減免を願い出しましたが、その当時の上司から疎ましく思われたり、

台湾総督府との板挟みになって自決したのです。


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わざわざ村長さんまでお出迎えしていただきました(左から3番目の方)

皆さん、笑顔が素敵です❣️




★KANO像
日本人監督のもとで初めて甲子園で準優勝をはたしました。
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日本統治時代に嘉義農林学校野球部エースとして活躍した呉さんの彫像です。

1931年(昭和6年)ノーヒットノーランを達成し同年夏の甲子園で準優勝に導いたのです。
その後早稲田大学に進学し東京六大学野球でも活躍しました。

2014年2月に台湾映画「KANO1931 海の向こうの甲子園」が嘉義市でプレミアム上映されました。
日本でも上映されたそうですが、私はまだ観ていませんゴメン/お願い

その当時の台湾と日本の共通言語が野球だったようです。


★檜意森活村(ひのきむら)
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台湾の檜は良質で、日本の明治神宮大鳥居、首里城、東大寺の大仏殿にも使用されています。

現在は過度の栽培で輸出禁止になっています。


ちなみに台湾檜は、ヒノキチオールが豊富なので虫除けにも使われているそうです。


檜の香りってホッとしませんか?


私はここで檜オイルを買って虫除け?ではなくローションとして使っています。

心地よいです〜目がハート



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そのまま台湾新幹線(嘉義から台北)に乗車新幹線

日本の技術なので殆ど日本で乗る新幹線と同じです目がハート



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台北での最後の晩餐??では、疲れも吹っ飛びました。
初日でお話をしてくださった張さんもご参加されました光るハート


大盛り上がりの夕食会でした

夕食後には足つぼ揉みに行き、そこでの発見️!

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志村けんさんは、台湾で一番有名なお笑いタレントさんだそうです…合掌…ゴメン/お願い



【6月19日(月)】

最終日です。
午前中に、芝山厳堂(しざんがんどうに行きました。
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↑132段ほどある階段を一気に登ります顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)

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ここは緑豊かな小高い丘に立てられた、台湾初の日本語教育学校「芝山厳学堂」です。

のちに「六士先生」と呼ばれる6人の教師たちが、1895年7月から日本語を教えていました。
生徒6人から始まった小さな学校は徐々に生徒数を増やし、周辺住民にも受け入れられていきます。

ところがその年の暮れに暴動が頻発し治安が悪化します。

心配した人々は彼らに避難を勧めましたが、『死して余栄あり、実に死に甲斐あり』と、
教育に殉じる覚悟で残りました。

翌年の1月1日、元旦の拝賀式に出席するため芝山厳を出た教師一行に約100人の抗日ゲリラが襲いかかり、
6人の教師全員が惨殺されたのですがく〜(落胆した顔)バッド(下向き矢印)

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↑↑ 6人の先生のお名前が祀ってあります涙ぽろり


六士先生の教育活動はわずかな時間でした。

しかし彼らが犠牲を払って培った芝山厳精神は日本の教育界を揺るがし、
遺志を継承するべく多くの教師が台湾に赴きました。

その功があって、終戦時の台湾の識字率は、92.5%までに上がり、
現在の経済発展へ繋がる大きな原動力となりました。

教育に徹底的に力を注ぎ、日本が統治し日本語が共通言語になることで、
初めて国家として成り立ったのです。

尊い信念を持って教育の礎を築いた六士先生たち。
その精神はその後台湾に根付いていきます。

当時のことは想像を絶することだと思いますが、今は忘れ去られているような利他の心なのかも知れませんあせあせ(飛び散る汗)

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↑小高い丘から見下ろした台北の街


その後私だけ離れて帰路につきます。
飛行機の時間が他の方々より早いためです(現地集合現地解散なので…勝ち誇り笑)


あっという間の4日間でしたが、想うことがたくさんありました。

統治下時代に多くの日本人が自分の命をかけても行なった数々の事業。

「日本精神」は決して美談ではなく、今でも受け継がれている理由が少しだけ分かったように思います。


台湾の方々は「恩返し」という言葉を使われます。


その意味の深さに今回の研修を通じて、気づかせていただきました。


おかげさまで、台湾に対する見方も変わりましたぴかぴか(新しい)


ただスウィーツや飲茶が美味しい、楽しい、人が親切…だけでなく、日本と台湾との関係性をもっと育んでいきたいですね。



台湾人が大切にしていること…

1、ウジウジしない

2、失敗した人を応援する


何だか耳が痛いですふらふら


豊かなモノに溢れる日本は、本当に幸せな国なのでしょうか…。

平和を維持する日本は素晴らしいと思います。


ネット社会で便利になることは有り難いけれど、何か大切なことを失っているのではないだろうか…。

そんなことも思ってしまいます。


生きづらくなった今だからこそ、DNAレベルで持っている日本人の気質や魂・礼節、

相手を想う利他の気持ちを再認識する必要があるのではないかと思いました。



今回の研修を経て、次世代に何を繋いでいくべきかが明確になったようです力こぶ




本当に参加して良かった…光るハート




研修に誘っていただいた主催者の加藤(ヨッシー)さん、日本旅行のツアーコンダクター高野さん、そして参加された仲間たち。

お会いできたこと、ここでの体験、全て私にとって素晴らしい経験になりました。


ありがとうございます❣️



最後までお読みいただき感謝いたします。


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追伸:張さん、来年もお会いしましょうね️!いつまでもお元気で❣️


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2023年06月08日

S.PLOUNGE 6月2日「初夏の草花で癒される 爽や花アレンジメント」

こんにちは〜にこにこ

札幌は爽やかな季節になりました。

そんな中で行われた花いけ講座光るハート

お馴染み三花先生が西宮から来札されました。


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三花先生、いつも素敵ですねぇ〜❣️



三花先生の花いけは、草花の素材そのものを活かします。

北海道では見かけない地元で仕入れた草花を使用し、
季節感を味わっていただきますおやゆびサイン


今回は花器が横長であるため、いつもと違って工夫も必要。
横に流れるカタチをイメージします。

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みんな真剣な眼差しです…目がハート

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どんどん仕上がってきます。

やはり同じ草花を使っているのに個性って出るんですね〜❣️

どれも素敵な出来上がり️!


【受講前の気持ち】
・夏のお花はどんな感じかな…
・花の生け方がセンスを問われるので心配…不器用な自分でもステップアップできることを期待しています
・今回も期待しています。どんな作品ができあがるか、この夏に飾れるよう癒されたい
・今回はどんなお花が使われるのか、どんなアレンジになるのか楽しみです
 …などなど力こぶ



【受講後の気持ち・実感】
・けっこう頭を使いました。カンタンではなかったのですが、出来上がると良い感じになってスッキリしました
・時間いっぱい楽しめました。いつもの道(見慣れた草花)にも名前やシーズンを通じて存在を意識してみると、
 「豊かさ」になる!に共鳴しました
・いつも使い慣れていない脳をたっぷり使った感です。夢中になれた時間でした!楽しかった〜!!
・角度で見え方が変わるし遠慮なく気持ちを込めて生けることが大切だと気づきました
・個性的な植物を扱うことで勉強になりました。今回初めてのお花もあり、刺激的で良かったです
…などなど手(チョキ)



毎回新しい気づきがあり、あっという間の2時間です。
そして何よりも三花先生のセンスが伝授されてドキドキ・ワクワク光るハートします。



次回はクリスマスバージョン!ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

日程はHPでもお知らせしますので、ぜひご自身で体験・体感してくださいね顔1(うれしいカオ)



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私も体感したいワン!猟犬  byもぐみ



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そうだそうだニャン猫   byかつ
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